『人村』最終話

岩井銀蔵 作の課題物語『人村』最終話

『3年A組-今から皆さんは、人質です』というドラマを見たことをキッカケに
夫・銀蔵が私や子どもたちに「大切なこと」を教えてくれるために
作ってくれたオリジナル物語。

いよいよ、今回でとりあえず完結のようです。

この物語を読んで、「面白いか面白くないか」の観点で考えれば、
そりゃあ、プロが書いた小説やドラマの方が面白いですが、

この物語は、今の私や子どもたちへの「大切なこと」を伝えてくれるための、
いわゆるオーダーメイド的な物語であるため、
少なくとも、私の心には強く響きました

10さんの長男にとっては、この最終話は、ちょっと難しいかな…と感じたのですが、
まるで人生初めてのものを見るかのように興奮しながら読んでいました。

1話から3話までは、

  • 老人の好印象
  • 村人の悪印象
  • 老人の好印象
  • 老人の悪印象

と、一つのものに対して、印象が二転三転していましたが・・・、
この最終話では どのようになったでしょうか。

そして、夫・銀蔵は、私たちに何を教えたかったのでしょうか。

以下、岩井銀蔵 作の課題物語『人村』最終話です。

『人村』最終話

自分の住んでいる村や村人たちを守ってくれていた老人に対し、
自分達の間違いによってその老人の村から追い出してしまったことを悔い、

ある若者が、老人に直接会って謝ろうと、
追い出してしまった老人の行方を追うために村の外へ探し回りました。

その間、様々な困難がありながらも、
2ヶ月をかけてようやく老人に会うことができ、

・村人たち皆が、老人に申し訳ないことをしたことを反省していること
・村人たち皆が、老人の話を素直に聞かなかったことを悔いていること
・また、老人と一緒に暮らしていきたいと思っていること

などを話すことができたものの・・・、

その若者の話に対して老人は、
衝撃的な事実を話しだしました。

・今頃は村人たちが大変な目に遭っていること
・若者に対してきつい目に遭わせるよう仕組んでいたこと
・村人たちや若者が困っている様子を愉快に思っていること
・これまでの村に怒った災いは、全て老人が仕組んでいたということ
・森のドクキ病も、老人が仕組んでいたということ

これを聞いた若者は、
村人たち皆が大切にしている木を切り倒されたときと同じように
怒りや悲しみを抱いてしまいましたが、
それらの気持ち以上に、他の村人たちが心配になりました。

今頃、村人たちは、どうしているだろう…
大丈夫だろうか…

そこで、老人に対してお願いをしました。

「村の皆が大変な目に遭っているのであれば、
どうか、村人たちだけは助けて下さい。

今の状態がどのようになっていたとしても、
お爺さんなら、今からでも村人たちを救うことができるはずです。

僕も何でもしますから。」

村人たちを想う必死な若者に対して、
老人は、

「きっと、君はわしのことが憎いと思っているのだろう。
はっはっは。わしは それで かまわない。

でも、その君のわしに対する この場の負の感情よりも
これからのことを考えて村人たちを守るためのことを優先した。

それに、わしに会うためにたくさんの困難はあったのに、
一度もあきらめずに ここまで来ることができた。

それらは大いに認めてやる。

だから、これから君に良いことを教えてあげよう。」

老人は話を続けました。

「わしは何でも知っている。
何でも見える。
何でもできる。

君の願う通り、今からでも村人たち全員を助けることもできる。

あの村に雨を降らせることも、
あの村の森を全て焼きつくすことも、
あの村に新たな命を誕生させることも、
村人の命を奪うことも…、

わしは、あの村に関することの全てを
何でも思うように操ることができる。

・・・でもね、

何でもできるのは、わしだけではないのだよ。

わしだけでなく、君だって、同じことができる力を持っているのだ。

だから、その君の力を使って、村人たちを救えばいい。」

若者は老人が何を言っているのか、さっぱりでした。

「お爺さん、どういうことですか?
僕には、そんな特別な力はありません。

そんな特別な力がないからこそ、
お爺さんの行動なんて知ることができなかったし、
ここまで来るのだって2ヶ月間も苦労したんです。」

老人は話し返しました。

「いいや。君も わしと同じ力を持っている。

君も、わしと同じく何でも知ることができるし、
何でも見ることができる。
君も、本当は何でもできる力を持っているのだよ。

これまで、その力に気が付かなかったのは、
君自身が“できない”と自分で“決めつけ”ていたからだ。

できないと自分で決めつけるのではなく、
できた状態を強くイメージしてみなさい。

村人たちを本当に救いたいのであれば…、
そうだね…、この奥の大広間に村人全員が元気でいる様子を
強くイメージしてみなさい。

さあ…」

若者は、老人の話をとても信じられませんでしたが、
その考えが力を出す邪魔をしないように…、
老人から話を受けたとおり、村人たちのことを強く思い浮かべました。

しばらくすると・・・

奥の大広間から、人の話し声が聞こえてきました。

「さあ、大広間に行って見てみようか。」
と、老人は若者を連れて行き、大広間への扉を開いたところ、

なんと、中には、元気な様子の村人たち全員が揃っていたのです。

ここで、老人は若者に言いました。

「君も、わしと同じ力を持っている理由を教えてあげよう。

それは、君とわしは、同じだからだ。

わしは、もう一人の君だし、
君は、もう一人のわしなんだよ。

これはわしたちだけではない。

この村人たちも、君と同じだし、わしとも同じ。

みんな、同じなんだよ。」

若者にとっては、全く話がわかりません。

“同じ”ってどういうこと?
同じ村の人たちという意味?
それとも、同じ“人”という意味?

老人は話を続けました。

「君もわしも、他の村人たちも、それぞれ違う体を持っているね。
そのため、その人それぞれのことを“別のもの”と考えているだろう。

だから、森の木を切り倒したのだって、
君が切り倒したのではなくて、わしが切り倒したと考えている。

2ヶ月もの間、苦労してわしに会いに来たのも、
当然、わしではなくて、君自身だと考えている。

でもね、わしが森の木を切り倒したっていうことは、
君が森の木を切り倒したっていうことでもあるし、

君が2ヶ月間苦労してここまで来たということは、
わしが2ヶ月間苦労してここまで来たということでもある。

以前は村人みんな、わしのことを好いてくれていただろう。
これは、村人みんなが、それぞれ自分自身のことを好いていたことになる。

最近では、村人たち全員が、わしに責任があると思っただろう。
そんなわしが仮に村人たちに対して責任を問いたとしたら、
それは わしが“人のせいにした”と思うことだろう。

この場合、わしは 他の村人とも同じなのだから、
村人たちに対して責任を問うということは、
わしが自分自身に対して責任を問うということにもなる。

…君は、わしと同じ力を持っていることを実際に体験したね。

そんな君なら、わしが事実を話していることも
分かるのではないかい?

君も持つその力で、この世界を自分自身の目で見てみなさい。

…他の村人たちも、わしの話を聞いていたね。
君たちも、わしたちと同じ力を持っている。

君たちも、この若者と同じように目を閉じてごらんなさい。
そして、天よりも高いところをイメージして、
そこから自分達を見てごらんなさい。」

・・・しばらくして、若者や他の村人たちが目を開け始め、
自分達が見たものを語り合い始めました。

「果てしなく上へ昇ってみると、丸くて大きくて黒い木が無数に生えている巨大な山のようなところから出てきた」
「そうだね。その巨大な黒い山のふもとあたりからは、巨大な木のようなものが2本生えていた」
「その巨大な2本の木の先には、それぞれ5本の木も生えていたね」
「黒い山の反対側を見てみると、二つの黒い林のようなものがあって、そのそれぞれの下には また林があって、その林は大きく上下に動いていたよ。」
「その林が上に動いたとき、黒と白の丸い球のようなものが見えたね」

・・・どうやら、村人たち全員が同じところから出てきて、
同じものを見たようです。

ここで老人は村人たちに 言いました。

「君たちが見た とても大きなものは、“人間”というんだよ。
君たちは“人間”の“頭”というところから外の世界に出た。

外の世界には“人間”が全ての国の村の数ほど多く存在しているのだが…、
君たちは、1つの“同じ人間”の中の世界に戻ってきた。

…そう、わしたちの世界は、1つの“同じ人間”の中にある。

“人間の世界”ではね、わしたちのことを“意識”と呼ばれているんだよ。

ところで、村人たちは、昔から比べると
随分と数が増えたもんだ。

この中には、“人間”が直接 生んだものもいるし、
わしたち“意識”が生んだものいる。

たくさんの数の村人がいて、皆それぞれ物事に対するいろんな見方を持っているが、
わしは“人間”から直接生まれ、君たちを わざと困らせ それを楽しんできた。
君たちからすると、理解しがたいことも多いだろう。

では、なぜ、わしは、この世界に生まれてきたのだろう?
また、この世界に どんな仲間が生まれると、みんなにとって良いだろう?

是非、皆で話し合ってみてほしい。

村人たち皆で真剣に話し合うことを、“人間”の世界では“考える”という。」

『人村』完。

>夫・岩井銀蔵の妻として

夫・岩井銀蔵の妻として

小さい頃から私は、「毎日学校の人たちとすれ違うだけで緊張する」「運動会は人が多いから大嫌い」「電車に乗るのはいつも誰かに見られているような気がして怖い」と、とても生きづらい毎日を過ごしてきました。それは大人になっても変わらない日々が続きましたが、夫や家族たちの支えのおかげで、私は私の“夢”を持つことができるようになりました。
今は家計も育児も夫に頼りっぱなしですが、「本当の生きる力」を養って、社会的自立に挑んでいきたい!このように考え・行動できるようになったのは、やはり夫の“厳しい愛”の力が大きいのかもしれません。
いつも家族や皆の夢の応援をしてくれる夫に対し、私も微力ながら夫の夢を応援したいと思っています。夫・岩井銀蔵のブログも宜しくお願い致します。

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