私の夫・岩井銀蔵はFXのシステムトレードを仕事としており、
毎月、しっかりと生活費を入れてくれています。
私はその入れてくれているお給料(?)に満足していますし、
何か突発的なイレギュラーでお金が必要になった時にも蓄えもさせてくれていますし、
必要なものは一応何でも買ってくれています。
そんなうちの家計に私は大変満足していますし、
日々ありがたみを感じています。
しかし、一方の私は、4人の子供の母親として、
毎日奮闘はしているものの、
家族6人の生活を支えるためのことは、いつも夫・銀蔵が考えてくれ、
何か問題(息子が学校で問題を起こしたなど)があれば、
いつも夫・銀蔵が解決してくれているということで、
とても楽な生活を感じていると同時に、
まるで何かに自分の人生をぶら下っているような…
「自分で生きている」というよりも
「生かしてもらっている」というような感じがして、
何となく強く“生きづらさ”を感じていました。
・・・そんな感覚から脱出するために、
「自分はブログで稼いでみよう」
「自分も稼いで、家族の支えとなっている実感を得たい」
ということで始めたこのブログ。
・・・早いもので、開設から約1年半が経ちました。
今の私を、約1年半前の私と比べると、
いろいろな知識がついた気がするし、
途中で頭のトレーニングもしたことから
頭の使い方のコツみたいなものも分かるようになった気がします。
でも、
肝心な「自分で生きている感」というのが、
あまり変わらないんですよね…。
…というのも、
この約1年半も、このブログを通じて、
野菜栽培・スイングトレード・頭のトレーニング・電気工事士の資格勉強など、
いろいろと挑戦を始めて見たけれど、
何をやっても続いていない。
続かずに中途半端に止めてしまうから、当然達成感は無いし、
やりきったことによる成果もあまりありません。
(トレードとかでは金銭的な目先の成果はありましたが…)
「どうして私って、何をやっても続かないのだろう…」
と考え、夫・銀蔵にも相談してみたところ、
「何をやっても」ってことは、逆に言えば「いろいろやってみた」
ということでもあると思う。
もっといえば、「いろいろやってみた ということを続けてきた」
とも言えるんじゃない?とはいっても、それに違和感を感じるのであれば、
基本に戻ってみよう。
人間はたぶん、生きるために賢い生き物だから、
無意識に「自分はどうすべきか」ということを優先に考えているんだと思う。
子供の頃は「自分は○○したい」と考えていたはずなのにね。
大人になるにつれて、次第に ある意味で賢くなって、
「どうしたい」よりも「どうしたらよいか」になってしまっているのだと思う。
だから、人生に違和感を感じる時は、子供の時の感覚を思い返して、
「どうしたらよいか」よりも「どうしたいか」を考えてみるとよいかも。
もし、それも難しかったら「なにが欲しいか」を考えてみるといいかもよ。
「ほしい物」は子供も大人も共通してあるからね。
正直に「自分がほしい物」を考えてみることにしました。
気分も楽しくなってきました。
生きる心の栄養となっているのかもしれません。
このブログに「ほしい物リスト」のカテゴリを作り、
しばらく「ほしい物」について思いつき次第書いていこうと思います。