今年の夏休みが終わってから1週間が経ちました。
思い返せば、今年もとても良い夏でした。
7月22日から毎年やっている「関東~東北~北海道の1ヶ月間車旅」をスタートし、
無事に全部のお墓を参ることも出来ましたし、
いつもならなかなかお目にかかることのできない、
ニホンカモシカの他、鹿、きつね、サル、リスなどの
自然で生きる 野生の動物たちにもたくさん遭うことも出来ました。
また、今年も、毎年子どもたちと会うことを楽しみにしてくれている
おじいちゃんおばあちゃんたちもとても喜んでおり、
とっても良い1か月だったと思います。
ただ、大変だったのが、車旅から帰ってきた後の約2週間。
7歳の長女は、要領よく夏休みの宿題や準備を終わらせてくれて
なんの問題も無かったのですが、
やっぱり毎回毎回手を煩わせてくれるのが、9歳の長男。
『子どもが決めた自由研究のテーマが、先生に却下された時…』の記事の通り、
夏休みが始まる直前に提出した自由研究計画書が、
先生から「そのテーマは自由研究として認めない」と言われてしまい、
さらには、夫・銀蔵からも厳しい試練を受けてしまって、
長男は、自由研究に対してはしばらく上の空状態でした。
見かねた私は、長男に対して
「今年の自由研究は、蜂についてレポートを書いたら?」
「それか、北海道のオリジナル地図作りもいいかもね。」
なとど提案を出し、
ようやく長男が動き出してくれたものの・・・
やっぱり、
長男はいつまでもダラダラ…ダラダラ…。
こうやって、何かに対してダラダラしている様子をしていると、
必ずと言っていいほど登場してくるのが、夫・銀蔵。
なんか、楽しんでやってそうに見えないね。
やりたくないなら、やめちゃえよ。
長男にとって、やりたくない事を、追い打ちをかけるように
夫・銀蔵からの一言。
そして、その直後、毎度のごとくヘコタレて下を向いて
黙ってしまう長男。
おまえの目的はなんだ?
「やりたくないことを処理することか?」
そういうのを建前というんだよ。
中途半端に建前を覚えるくらいなら、思いっきり建前を学べ。
般若心経という難しい漢字を並べられたお経を
半紙に丁寧に書き写すという作業です。

なぜか私が先にやらされたのですが、
一回一回 墨を付けながら慣れない筆で
普段なかなか書かない字を一字一字丁寧に書いていく作業は、
まるで精神に攻撃を受けているかのようにきつかったです。
半紙1枚分で収まるのですが、結局書き終えるのに約1時間を要しました。
この精神への攻撃力を持つ写経・・・
見ての通り、読めない字をひたすら書き写すだけなんだから、
やり終えても、全くおまえにとってプラスにならないだろうな。これぞ、建前ってものだよ。建前ってものは、ときに必要なものではあるけれど、
建前を建前のまま向いてしまうと、絶対に良いことは無い。
むしろ、建前を当たり前にしてしまうと、
自分の夢や目的すらも分からなくなってしまうという大きなマイナスを秘めている。でも、実は、建前の中にも重要な宝が眠っているんだよ。
向き合い方次第では、建前の中に“本音”を見つけることができるから、
その“本音”の行動から、たくさんの良いことがある。おまえがプロ野球のピッチャーになる夢があるんだったら、
写経を通じてでも、指先の感覚や脱力を養うことも出来るんじゃないか?
あとは、プロを真似るとはどういうことかも分かるかもしれない。他にも、建前、写経を通じていろんな宝が見つかるかもな。これが、今のおまえにとっての大事なヒント。
しかも、自分で「20枚やる」といっておきながら、
また夫にダラダラな姿を見せたりしたら、と思うと…とっても不安でした。
骨盤の立て方、首の置き方、字の置き方・止め方・はね方・払い方など、
厳しく教えを受けていたこともあり、本当に大変だったと思いますが・・・

結果、3~4日ほどで20枚やり抜いたんですよね。
字も当然下手くそだったのですが、
それから段々と自然に姿勢も良くなって
字も上手になってきて…、最後の頃には
自分自身で朝早く起きて、誰にも言われずに自ら机に向かって取り組むようになったんです。
写経は精神と姿勢の万能トレーニング
- 大きな達成感を味わうことができる
- 精神が安定する
- 脳が活性化する
- 姿勢が良くなる
- 想像力が豊かになる
- 風邪をひきにくくなる(自然治癒力UP)
- 字がきれいになる
- 集中力が身につく
- 忍耐力が身につく
など、良いことばかりです。
特に、今の長男にとってはどれもありがたいこと。
写経って、最初に夫・銀蔵は「意味不明な字を書き写すだけだから、プラスは無い」と言っていたのですが、
この言葉こそ建前(ハッタリ?うそ?)で、本当は夫は、こんな効果を分かっていて指示したのでしょうか。
長男が写経をやり終えた後、
以前までのダラダラ感がまるでウソのように、
目の前の自由研究に対して自ら新たに「やりたいテーマ」を見つけ出し、
“本音”で取り組む姿が見受けられるようになりました。
それよりも もっとツラいことを思い浮かべて比べてみろ。
そしたら、目の前のありがたさも見えてくる。
長男にとっては、ほとんどの事に対して「もっとツラいこと」が写経となり、
いくつかのことが、とても楽に感じるようになったようです。
自分で朝6時に目ざまし時計をかけ、
自分で起きてこれるようになった姿が続いています。
「いってきます!!」「ただいま!!」の声が生き生きとしている気がします。
前よりよっても強くなった気がするよ。
単純に叱ったりしても、なかなか伝わらない事が多いですよね。
(時には必要かもしれませんが…)
「何かを教える・やらせる」のではなくて、
「自分自身で気付くキッカケを与える」ことに着目するといいかもしれません。